最近の大学生は学力が低く、その理由として挙げられるのは、学生に勉強に対する意欲が泣く、理解しようともしない、ゆとりのままで良いと思っている、という要素であると言われるようになった。一方で受験一辺倒の勉強の仕方にも原因があるとも言われている。
いずれにせよ、大学はどのような学生であっても連続して高校三年生を受験させ、合格者を選出することで入学金と授業料を得て、学校運営の継続性を維持しなければならず、大学教授がどのように評価しようとも"ゆとり世代"の高校生を採用しなければならない。
そこで大学教授はさらに入試制度に対して不満を持つようになる。講義に対する理解度が低い。レポートの内容が稚拙。熱意がない。現に自分は複数の教授がこのような不満を口にしているのを耳にしたものの、大学教授による現存の入試制度・入試問題に対する公然とした批判というものを、狭い視野を持つ私は聞いたことがない。
しかし、入学試験の問題というのは大学に所属する教授が作成するものであって、基本的に大学職員はその問題に対しては立ち入ることができない。よって、いかに入試問題を簡単にするか、難しくするか、ということに関してのさじ加減を調整するのは教授であって、彼らが入試制度に対して不満を持つというのは自己否定ではないか、という疑問が生ずる。
もちろん入試問題の作成に関与しているのはごく一部の教授である。また、入試問題の難しさというのは、ある程度は大学職員側の要望に沿ったものになってしまう。何故なら大学は一定数の新規学生を獲得する必要があるからであり、それは先にも述べたように、大学運営の継続性を確保するためのものである。よって、これに関与しない教授から不満が生じるのは不可避でもある。
だが、教授自身がそのことを知らないわけではないはずである。ましてや自らの研究費の源泉がどこに存在するのかを知らない者はいないだろう。彼等の生活費は学生の納める学費からも捻出されている。あえて公然と入試制度を批判するのであれば、文字通り生活を賭してしなければならないだろう。
それ故に教授は、公然と学力不足や受講態度を批判せず、吞み屋でのサラリーマンの愚痴程度の批判に抑えているのではないだろうか。
特にこの傾向は文系に強いと思われる。理系は研究成果によって利益を得ることができるものの、文系においては研究成果は本にまとめる程度で、しかもそれは自分が講義を持っていてこそ売れるからである。
とDランク大学の学生が妄想してみた。
2010年2月12日金曜日
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